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東京高等裁判所 昭和54年(ラ)208号 決定 1980年2月13日

抗告人

加藤智之

右代理人

谷川八郎

外三名

相手方

亡吉澤芳蔵遺言執行者

宮山雅行

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一抗告人の抗告の趣旨は、「原決定を取り消す。相手方の申立を棄却する。相手方は抗告人に対し、原決定添付物件目録(一)記載の土地の借地権、同(二)記載の土地の借地権持分及び同(三)記載の建物を、代金二九八万〇、八八八円で譲渡することを命ずる。相手方は抗告人に対し、金二九八万〇、八八八円の支払いを受けるのと引換えに、原決定添付物件目録(三)記載の建物について所有権移転登記手続をなし、かつ右建物から川崎市中原区井田一四四七番地久保田トミを退去させて明渡せ。」というのであり、抗告の理由は、次のとおりである。

1  原審は、吉澤芳蔵と抗告人との間で、昭和五五年中に本件建物を収去して本件借地を抗告人に返還する旨の合意が成立した旨の抗告人の主張について、抗告人に証拠調べの機会を与えないまま、これを認めるに足りる証拠はないとして排斥した点において公正を欠くものであるが、仮に右合意の成立が認められないとしても、本件借地権を譲り受ける久保田トミの夫、久保田文之は、昭和四六年抗告人に対し、昭和五五年をもつて借地を明け渡す旨約した。

2  借地法九条の二第一項に基づく借地権譲渡許可申立は、譲渡の履行が完了する前にしなければならないこと同規定の文言から明らかであるところ、相手方の本件借地権譲渡許可申立は、芳蔵の借地権がトミに移転した後になされたものであるから、不適法である。すなわち、芳蔵は昭和四五年一〇月死亡し、同人の遺言書は昭和四六年五月二四日横浜家庭裁判所川崎支部において開封検認されており、トミは遺贈により芳蔵から本件建物の所有権を取得するとともに本件借地権をも取得した。それのみならず、トミは芳蔵死亡後、本件建物を使用して現在に至つているばかりか、昭和四八年ころから数回にわたつて既に朽廃に瀕していた本件建物の大幅な増改築、大修繕を行なつている。したがつて、本件建物の所有権は昭和四五年ないし四六年にトミに移転し、これに伴つて本件借地権も同人に移転し、遺言の履行行為は右時点ですべて完了したというべきである。もつとも、本件建物についてトミのための所有権移転登記はいまだ経由されていないが、同人は昭和五二年に相手方に対し、本件建物の所有権移転登記手続請求訴訟を提起し、同年一〇月二八日勝訴判決を得ているのであつて、同人の意思次第で何時でも右登記手続が可能な状態にあるから、履行行為が完了していないとはいえない。

右のとおりであるから、相手方の本件申立は不適法である。

3  原審は、借地人が兄弟、親子のような特定の人的関係にある者に対し、その関係に重点を置いて借地権を譲渡しようとする場合においては、賃借人の主観的意図を尊重すべきであり、この場合の譲受人は借地法九条の二第三項にいう第三者に当らないと解されるから、賃貸人の優先買受の申立を排斥する裁判をなし得ると判断した。

しかし、原審の右のような解釈は、同規定の文理に著るしく反するものであり、かりにそのような制限的解釈が許されるとしても制限規準が明確でなければならないが、原決定の示す規準は不明確であるうえ、借地人の主観的意図を偏重するものであつて、賃貸人にとつて著るしく不利益である。のみならず、前掲条項は借地権を他に譲渡したい賃借人と賃借権を回収したいと希望する賃貸人との利害関係を調節することをその趣旨とするものであるのに、原審は賃貸人の賃借権譲受人との利害関係の調節を図ることに主眼をおくものであるから、右規定の趣旨に反する。

以上のとおり原審は違法であるから取消を免れない。

二よつて考えるに、記録によれば、

1  久保田トミは、昭和三年二月一六日六才のとき吉澤芳蔵と養子縁組のうえ、同人とその内縁の妻とら夫婦のもとで養育されていたが、芳蔵、とら夫婦が内縁関係を解消したのに伴い、とらに引き取られて昭和九年四月一二日芳蔵と離縁する反面、同年五月一二日とらと養子縁組をしたこと、

2  ところが、芳蔵は昭和一〇年ころ、とらと復縁して再び内縁関係に入り、トミとは再度の縁組手続を履践しなかつたものの、同人を娘として養育し、また昭和一〇年一二月二六日には、とらとの婚姻届出を済ませて正式に夫婦となつたこと、

3  原決定添付物件目録(一)記載土地(本件宅地)、同(二)記載土地(本件私道)及び同(三)記載建物(本件建物)は、いずれも、もと田村知市の所有であつたところ、芳蔵は、昭和三五年六月二九日田村から本件建物を買い受け、その敷地たる本件宅地を期限を定めず賃借すると共に、本件私道の共同賃借権(持分四分の一)を取得し、妻とら及び事実上の養子であるトミと共に、本件建物に居住したこと、

4  トミは、昭和二五年七月六日久保田文之と婚姻し、芳蔵夫婦とは居を別にして生活していたが、養母とらが昭和三八年九月二九日死亡したので、やもめ暮しの芳蔵の面倒を見るため、夫文之ともども、昭和四一年一月二五日以来、本件建物で芳蔵と同居をしていること、

5  抗告人は、本件宅地に隣接する土地を前記田村から賃借していたが、昭和四三年六月二一日本件宅地、本件私道を含む田村所有の土地を買い受け、本件宅地、私道についての芳蔵に対する賃貸人たる地位を承継したこと、

6  その後芳蔵は、昭和四五年一〇月九日死亡したが、同人には昭和三九年一一月一三日付の自筆遺言書があり、それには、同人死去の場合本件建物をトミに譲渡する旨が記載されており、右遺言書は、横浜家庭裁判所川崎支部昭和四五年(家)第一〇一五号遺言書検認事件において、同裁判所の昭和四六年五月二四日付検認を経ていること、

7  トミは、芳蔵死亡後も本件建物での居住を続け、昭和五一年度分までの本件宅地及び私道の地代を抗告人に支払い、昭和五二年度分一年間の地代一万六九八〇円についても、抗告人及び芳蔵間の約定に従い前払いすべく、昭和五一年一二月二七日抗告人に持参提供したところ、抗告人はその受領を拒絶したこと、

8  そこでトミは、弁護士猪熊重二を代理人として、前回裁判所に対し遺言執行者の選任を申し立てたところ、同裁判所は同庁昭和五二年(家)第七三三号事件の同年七月八日付審判をもつて、相手方を遺言執行者に選任したので、トミは、更に、猪熊弁護士らを代理人として、遺言執行者たる相手方に対し、本件建物について昭和四五年一〇月九日付遺贈を原因とする所有権移転登記手続を求める訴えを川崎簡易裁判所に提起し、昭和五二年一〇月二八日右訴えに基づく同裁判所昭和五二年(ハ)第一四一号所有権移転登記手続請求事件の勝訴判決を得た後、抗告人に対して昭和五二年一一月一八日付内容証明郵便をもつて、本件建物を芳蔵からその遺言により贈与を受けたので、本件宅地、私道につき借地権譲渡の承諾を受けたい旨申し入れたけれども、承諾は得られなかつたこと、

9  一方、遺言執行者に選任された相手方も、昭和五二年一二月二八日付内容証明郵便をもつて抗告人に対し、芳蔵が昭和四五年一〇月九日死亡し、同人賃借土地の借地権及び同地上建物は、同人の遺言によりトミに遺贈されたが、相手方が遺言執行者に選任されたので、昭和五二、五三年度分の地代を支払いたい旨を申し入れ、合せてトミへの借地権譲渡の承諾を求めたが、いずれも抗告人に拒絶されたこと、

10  そこで、相手方は昭和五三年一月一〇日本件宅地等の地代昭和五二、五三年度分合計三万三、九六〇円を弁済供託し、ついで同年二月一〇日本件借地権譲渡許可申立に及んだこと、

11  本件建物についての芳蔵からトミへの遺贈を原因とする

所有権移転登記はいまだ経由されていないこと、

以上のとおり認められる。抗告人は、芳蔵が抗告人に対し、本件建物を昭和五五年中に収去して本件土地を返還する旨を約したと主張するけれども、右主張を認めるに足りる証拠はない。また抗告人は、トミの夫、久保田文之が昭和四六年抗告人に対し、昭和五五年をもつて本件借地を明け渡すことを約したとも主張する。しかし、この点についても認めるに足りる証拠はない。

二右認定事実によれば、亡芳蔵は本件宅地及び私道につき建物所有目的の賃借権を有し、右賃借権土地上に本件建物を所有していたが、右建物を芳蔵からトミに遺贈されたことは明らかであり、これに伴つて、右本件借地の賃借権も芳蔵からトミに遺贈されたと解すべきである。

相手方は、亡芳蔵の遺言執行者として、右遺言による賃借権譲渡につき、抗告人の承諾に代る許可を求めるものであるところ、抗告人は、右申立は芳蔵からトミに対する遺贈の履行が完了した後にされたものであるから不適法である旨主張する。もとより、借地法九条の二第一項に基づく借地権譲渡等許可の申立は、同条項の規定の文言及び民法六一二条一項の趣旨に照らし、賃借権の譲渡又は賃借物の転貸をするに先立つてなされなければならないと解すべきではあるが、借地人が賃借地上の所有建物を遺贈する場合についてまでそれに伴う土地賃借権譲渡につき遺贈の効力発生前に、賃貸人の承諾又はこれに代る裁判所の許可を求めることを借地人に要求するのは、遺贈の性質上極めて不当というべきであり、この場合は、遺贈の効力が発生した後、その相続人又は遺言執行者による目的物件の引渡又は所有権移転登記に先立つて借地権譲渡についての賃貸人の承諾又はこれに代る裁判所の許可を求めれば足りると解するのが相当である。これを本件につきみるに、先に認定したとおり、トミは現に本件建物に居住して占有してはいるけれども、それは、本件建物に居住していた芳蔵の意思に基づいて同人と同居していたトミが芳蔵死亡後も事実上居住を続けているに過ぎず、同人の遺言執行者たる相手方が遺贈目的物としてトミに引渡したことに基づくものではなく、また、本件建物所有権の芳蔵からトミへの移転についても、いまだ登記を経由していないのであるから、相手方の本件借地権譲渡許可の申立は適法というべきである。抗告人の主張は理由がないといわなければならない。

三そこで、芳蔵のトミに対する遺贈による賃借権譲渡につき、許可すべきかどうかにつき判断するに、前示認定の事実関係のもとにあつて、トミが芳蔵賃借土地の賃借権を取得したとしても、従前の右土地の使用状態に実質的な変更を生じさせるものではなく、抗告人に不利になるおそれはないと認めるのが相当であるから、右譲渡を許可すべきであり、相手方の本件申立は認容すべきである。

なお、記録によれば、トミは芳蔵死亡後の昭和四八年一二月、本件建物の一階玄関、台所、便所の部分を、約二五万円の費用を投じて改築し、翌四九年一一月ころ、費用約一六〇万円で二階の増改築をし、昭和五〇年六月に網戸を付け、同年一〇月二階に物干場を設置し、昭和五二年五月には一階の天井、壁の改修工事をしたことが認められるけれども、右事実によつて前示判断が左右されるものとは認められない。

四ところで抗告人は、借地法九条の二第三項に基づいて、本件宅地等借地権及び本件建物の優先買受を申し立てているところ、同条項の趣旨は、土地賃借人が借地を自ら直接使用することをやめて借地上所有建物と借地権を他に譲渡することにより、借地への投下資本を回収するため、借地権譲渡の許可を申し立てた場合に、借地権が他に移ることを望まない賃貸人に対して右借地権等を相当の価額で優先して買い取ることのできる権能を付与し、もつて、賃借人と賃貸人との利害の調整を図ることにあると解すべきである。ところが本件の場合、芳蔵は、事実上の養子であり、かつ芳蔵死亡時同人と同居していたトミに、芳蔵の遺産である本件建物とその敷地たる本件宅地等の借地権を承継させて利用させる目的で、これらをトミに譲渡する旨遺言したものであることは、前認定事実関係から明らかであり、投下資本の回収を主たる目的とする通常の取引の場合とは事情を異にするものというべく、このような事情のもとに近親者その他の縁故者に対し借地権を譲渡する場合においても、賃貸人に優先買受権を認めることは、借地人の意思を全く無視し、かえつて前示した借地法九条の二第三項の趣旨を失なわせる結果となるというべきである。それゆえこのような場合には、賃貸人に優先買受権はないと解するのが相当である。したがつて、抗告人の本件優先買受申立は、その理由がないというべきである。

五そこで最後に、前示した借地権の譲渡を許可するについて附随処分の要否を検討しなければならないが、この点については原決定八枚目(記録一六六丁)表七行目から同裏八行目までのとおりであるから、これを引用する。

六以上判断のとおり、相手方の賃借権譲渡許可申立は、相手方から抗告人に対する一四万三、〇〇〇円の支払いを条件として認容すべきであるが、抗告人の優先買受申立は棄却すべきであり、これと同趣旨に出た原決定は相当であつて、本件抗告は理由がない。

よつて、本件抗告を棄却することとし、抗告費用を抗告人に負担させて、主文のとおり決定する。

(森綱郎 新田圭一 真榮田哲)

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